Calendar 2006

カレンダーって、一年もの間 かなり目立つポジションに張り付くことになるので
これを365日眺めるのかと思うと、どれも うざったく思えてきて、
以前はかなり小ぶりでシンプルなものを一冊、コソッと置いておくくらいだったのに、
年齢と共に必需品となるのですね。 数も年々増えてます。
何年位前からかしら? 
(これじゃあママと同じだわ。。。)と、感じることがホント 多くなりました。



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毎年、購入しているバラの花のカレンダー。
今年は、バラの花のドアップ写真の12ヶ月。

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気候帯図カレンダー メタルカラーがギラッとして綺麗。

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去年は売り切れで買えなかったのよ。綾小路きみまろさんのカレンダー。

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へ~。といった感じの英単語が覚えられそう。もう次の日が楽しみ。

# by mariko-sugita | 2006-01-04 11:59 | 雑記 miscellanea
睦月


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今年も歌い始めは1月5日(木)『ウナ・カンツォーネ』からのスタートです。
池田かず子さん、横山智子さんと、艶やかなお着物姿でお待ちいたしております。


そして、翌日1月6日(金)は品川パシフィック・ホテル30F『ブルー・パシフィック』に出演いたします。
トリオ演奏をバックに、様々な歌を織り交ぜてたっぷりお届けいたします。ぜひ、お立ち寄りくださいませ。
ショットの水割り1杯からオーダーできますので、お気軽にどうぞ。




# by mariko-sugita | 2006-01-01 06:49 | chanson
みなとみらいホール クリスマスコンサート
横浜みなとみらいホール クリスマスコンサート、なんとか無事に終わりました。
ホール主催の公演でクラッシック以外のアーティストが、あの舞台に立つことを許されたのは今回が初めてのことだったそうです。
打ち上げの席で知って、打ち上げの時まで知らされていなかったのは私だけ? もうビックリ!少しでもプレッシャーを減らそうとしてくれる、その気持ちが嬉しい。改めて大抜擢どころではない大冒険を通してくださったのだなぁ。と痛感いたしました。

普段からアガリ症の私は、どんなにか緊張するのだろうと覚悟していたのですが、全てが素晴らしく、優しさと暖かさに包まれながら、歌えることの歓びに感動しつつ+自分の未熟さを味わいつつ+神頼みパワーも+して歌っているうちに、あっという間に歌い終えてしまったという感じでした。(・・・と、いうことは、やっぱり緊張していたのでしょうね)

素晴らしいホールとお客様、そして、ミュージシャン、スタッフの方々、音楽の神様、マリア様。(グノーとカッチーニの2曲のアヴェ・マリアを田代ユリさんのパイプオルガンで歌わせてもらったので・・・愛と感謝に満ち溢れたハレルヤ状態から抜けきれていない私・・・ですが) とにかく、天才前田憲男先生に感謝。感謝です。
出来の云々はさておき!歌い終えたあと幸せな気持ちになれたのは、なんだか本当に久しぶりのことでした。音楽はこんなにも素晴らしいものだったはずなのに、幼い頃からずっと一緒に生きてきたはずなのに、いつから私は歌うことが苦しくなってしまったのかな。。。

ところで、話が飛びますが、池袋から横浜まで電車の乗り換えなしで38分、横浜からみなとみらいまでは2分なのよ。私は本当に驚いてしまいました。 しかし母子共々、先ず頭に浮かんだのは横浜中華街のことでしたが・・・

それから、また話が飛ぶのですが、オーケストラのメンバーの中に音高の同級生がいてビックリ! 何年ぶりになるのかしら?って数えて、二人とも一瞬黙ってしまったの。 だって、だって、凄い歳月を隔てた再会となっていたんだもの。彼女はクラスの中でも一番可愛いひとだったから、当然人妻になっていて、そしてやっぱり綺麗だったから、私はさほど違和感なく話していたけれど、私の顔を見ながら話す彼女はどうだったんだろう。家に帰ってからふと考えてしまいました。
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# by mariko-sugita | 2005-12-12 11:24 | chanson
石井好子先生のコンサート
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行ってきました。
83歳。デビュー60周年記念リサイタルです。
よく響く鍛錬された声。シェイプした肉体。凄まじいほど見事です。
こんなに歌の為に努力し続ける事の出来る歌手は、日本中どこにも居ないことだけは確かだ!と言い切ることができるステージでした。
# by mariko-sugita | 2005-09-24 07:43 | chanson
『シャンソン・ド・パリ』のエッフェル塔
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以前、ブログに『嬉しいことがあって・・・』と書いたその続きです。
そのうち忘却の河のカテゴリーの中で綴らなくてはいけないのですが、私は1995年から3年間、毎年12月の約一ヶ月間を光藍社さんの主宰するシャンソン・ド・パリというツァーに参加させてもらっていました。写真の通りフランス人の歌手達と、11月の日本公演の為に先に来日していたフランシス・レイ・オーケストラのミュージシャンというメンバーで各地を回らせてもらいました。とても明るくエネルギッシュなステージで、今でも時々お褒めいただいたりする事がある程楽しんでいただけたツァーでした。
そのフィナーレの演出は、出演者全員で客席に降りて行って、お客様に小さなエッフェル塔のキーホルダーを手渡しするというものだったのですが、なんとまぁ先日シャンソニエ「なかがわ」で御一緒だった歌い手さんの御身内のステキな男性が、10年間ずっと大切に使ってくださっていたのです。あの小さなエッフェル塔をお守りの代わりに持っていてくださったんですよ。こんなにビックリしたことも、嬉しかったことも近年なかった最大級の感激でした。悩み多きシャンソン歌手の頭上に降りてきた輝かしい蜘蛛の糸。地獄に仏。拾う神出現。この思いがけない大きなプレゼントは私の誇り。生涯忘れることなく私を支えてくれることだろう。そして私は裏切らぬよう心を込めて歌うだけだ。
(ネ! シャンソン歌手っていいでしょう!)

p.s もうひとつの嬉しいことは、しのぶちゃんから電話もらったこと。
不義理ばっかりでごめんね。セーケンさんのお尻、ターボライターで炙って愛媛に行こう!
# by mariko-sugita | 2005-09-20 03:07 | chanson
螢月
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昨日テレビに(空間)デザイナーの杉本貴志先生が出演なさっていた。出演というか先生の偉業を紹介する為の一時間番組だ。私は一時期歌の世界を離れ、きき酒師の資格を取り、日本酒バー&レストラン螢月Hotaruzukiという名の店をもった事がある。今から6年程前だ。そして、その作品や思想に惚れ込み、店のデザインをお願いしたのが杉本貴志先生だった。おそらく先生がうちのような小さな個人経営の店舗デザインを手掛けるのは、これで最後になるだろう。とスタッフの方もおっしゃっていたが、今考えてもよく引き受けてくださったと思う(笑) 
私は、最初の3年間はほとんど毎日店に出ていたのだが、夜行性の大人の楽しめる店が近所になかったので、朝5時迄という自分で決めた営業時間のハードさから身体を壊し(もともと胆嚢を摘出していたのに飲みすぎた為と年齢のせい?)最後は従業員と母にまかせっきり。何より、ちょうど店を始めたばかりの頃に今の音楽事務所の社長が、「歌をやめてしまうのはもったいないから・・・」と絶妙にズレたマズいタイミングで声をかけてくださり、なにしろ相手は私がクラシック以外の道をを志した頃から憧れ、尊敬している前田憲男先生のマネージャーで、その前には岸洋子さんのマネージャー。話をした頃は佐藤しのぶさんのエグゼクティブ・プロデューサーをしていた人だ。私が断れるはずもない。途端に店を守ることより自分の身体を整えることの方が大事になってしまったのだから困ったものだ。そもそも、家屋も店舗もCDも楽しいのは出来上がるまでの時間で後は忍耐と努力の積み重ね。それに分離の年まわりだったのか、私にとって最も長い年月を一緒に過ごした兄弟姉妹のような、ごく身近な友人達がそれぞれの理由で一斉にバラバラの道を歩む事になったのも一因になった。みんなが側に居なくなって、今までどんなに私を助け支えてくれていたのか一人骨身に染み渡る。しかし誰も東京に居ないのだからどうにも仕方がない。そうして、それから3年間、私は明るいヒキコモリ生活へと突入し、仕事以外殆ど家から外に出る事が出来ずにいると言うわけだ。せっかく杉本先生に手掛けていただいた店なのだが、昨年の暮れにすぐ近所の会社の社長さんで、螢月の売り上げNo.1だった方に借りていただくことになり、一安心。しかし杉本先生のテレビを観ていて思ったのだが、同じことは金銭的にも肉体的にも、もう二度と出来ないだろう。ひょっとして、とんでもないものを捨ててしまったのではないだろうか?多勢の方に足を運んでいただき、あれだけ多くの本などにも載せてもらえるような店を、未だに売れない歌を理由にポンと手放してしまって良かったのだろうか?後悔の気持ちに襲われそうになる。それにアノ頃の私はもっと強く、傲慢、生意気で、エネルギッシュだった。今とは性格も体型も別人のようだと自分でも思う。これはただ年齢のせいだけなのだろうか。。。 う~ん?とにかく同じ杉田だからといって自分で自分を負け犬と呼ぶような仲間入りだけはごめん被りたい!ものだ。
# by mariko-sugita | 2005-09-19 08:12 | 雑記 miscellanea
これ、私じゃないの
同姓同名の方々です。
逢ってみたいような・・・ そうでもないような(笑)・・・


日々是テレビ・・・
... このトリビアの種、つまりこういうことになります。 トリビアの種
No.051 京都府 杉田真理子さん(46) 日本刀と水を高速で噴射した
ウォーターカッターが対決したら 勝つのは?? タモリ ...
diary.jp.aol.com/vufpmudjvfdj/278.html - 16k - 補足結果 - キャッシュ - 関連ページ


院内学会
栄養科 ○砂生守男、横田光美、田中美栄、篠崎範子、畑玲子、杉田真理子 【目的】 ここ
近年、食物アレギーをもつ患者が多く、対応するメニューも多種、多様になってきている。
それも同じ〇〇アレルギーでも患者によってさまざまで、どこまでがアレルギー ...
www.seikei.or.jp/innaigakkai/innaigakkai10.htm - 30k - キャッシュ - 関連ページ


杉田真理子さんのページ。女の子になりたくてたまらない、そんな小さな男の子のためのページです。女の子になりたい男の子、そんな子に興味のある人、援助したい人が扉を開けてください。
http://zzz.main.jp/utc4/


第10回演題抄録 演題No.1 「感染症委員会看護部会設立して」 看護部2階病棟 香取 ... 砂生守男、横田光美、田中美栄、篠崎範子、畑玲子、杉田真理子 【目的】 ここ近年、食物アレギーをもつ患者が多く、対応するメニューも多種、多様になってきている。 ...
http://www.seikei.or.jp/innaigakkai/innaigakkai10.htm - 21k - 2005年8月29日 - キャッシュ  [www.seikei.or.jpから検索]
# by mariko-sugita | 2005-09-19 03:45 | 雑記 miscellanea
シャンソニエ「なかがわ」
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  ↑シャンソニエ「なかがわ」 のオーナー寺神戸さんと・・・
それにしてもこの写真、どうして?こんなに?ボケてんだ???


今日は、赤坂にあるシャンソニエ「なかがわ」で歌ってきました。

出掛ける前はなんだかとってもダルくてダルくて、「お休みした~い」と思うほどだったのですが、
保護者兼お客様から「今日、行くからね。休むなよ」(ナンデ、知ってるんだろう?)
電話をいただいて、謎の精力剤を飲んで出掛けたのですが、休んだりしなくて本当にヨカッタ♡
今日はそれはそれは嬉しい出来事が4つもあったんですよ。

1つ目は、「ブログ読んでるよ。」と、お客様から言っていただいたこと。自主的に言ってくださった方は初めて。記念すべき第一号君です。いつもは、「ブログ読んでくれた?」とパソコンも苦手そうなシャンソニエのおじ様方をけしかけてみても、反応今ひとつだったので・・・ものすご~く嬉しかった(^o^)丿

e0048332_783357.jpg2つ目は、私のブログにも度々登場する友人の古坂るみ子さんと、先輩歌手の泉レイコさんの登場で、賑やかで楽しかったこと。ホロ酔いるみちゃんの足元は、子鹿のバンビみたいで可愛いらしい。 毒舌吐くバンビだ゙よ。
以前は「風と共に去りぬ」のビビアン・リーに似ていたんだけど、あみちゃんのブログによると峰不二子だって。私もこっちの方がスキだな。

3つ目・4つ目は、、、また次回。
明日はベル・エポックの出演日なので、もう少し寝ます。
# by mariko-sugita | 2005-09-13 02:44 | chanson
9月30日(金)『蟻ん子』ジョイント・コンサートの打ち合わせ
昨日は、古坂るみ子さん・阿久津洋人さんと、
9月30日(金)シャンソニエ『蟻ん子』ジョイント・コンサートの打ち合わせを真面目に やりながら、
銀座でイタメシして、やっぱり次なる場所へと(女、二人で)向かってしまった。
その先は、ハートポッポなシャンソニエ鳩ぽっぽ。
大体からして、そもそも、「じゃぁ、銀座三井アーバン1Fに8時ね」
「なんで?銀座?」 「あそこは隣だぜぇ。鳩の・・・」
素朴な疑問はアホな愚問。「なんで?」は、「やっぱしニャ(=^・^=)」となり、
鳩に着いたら、1曲+メドレー1曲でその日最後のステージが終わってしまった。
(チョットダヨ。) 血液中のワイン濃度が高くなっていた私は、
山本理恵子ちゃんの歌が聞けなくて★欲求不満★だったが、
騒がず!触らず!頑張ったのでした。
そうこうしているうちに、広瀬敏郎さん登場。「アンジーの森」とか、
アレもコレも、とリクエストして
すっかりゴキゲン。血中ワイン濃度も更に高く<高く<となっていったのでした。
因幡晃の「わかってください」と冬ソナをフランス語で歌ってくれました。
一瞬ゥエ~ッ?と思ったけれど♡ヨカッタです。
p.s. 因幡さんご自身でフランス語バージョンもレコーディングしているよ (fromセーケン)
    冬ソナはパトリック・ヌジェさんにみてもらった・・・との事です。
私もパトリック・ヌジェさんが「フランス語で歌うシャンソン」のお教室をもってらっしゃる
「クラス・ド・フランセ」が駆け込み寺。
レコーディングやコンサート前には、校長先生のマリック先生に頼りっぱなし。
マリック先生、昔は飲み友達。今は出来の悪い生徒と厳しい校長先生。


p.s. 写真撮るの忘れてしまい、写メールできませんでした。
# by mariko-sugita | 2005-09-08 07:48 | chanson
銀巴里
私がシャンソンを志した頃、シャンソン歌手として認めてもらうには、
まず、今は無き伝説のシャンソニエ「銀巴里」で歌えるようになること。
そして、私の場合はパリ祭の舞台に立つこと。
とにかく、この二つは絶対的な存在だった。
銀巴里はオーディション制となっており、シャンソン歌手の登竜門として全国から大勢の歌手が応募してきていた。テープ審査で殆どが振り落とされて、ようやくオーデション迄たどり着き、怖ろしく緊張する空気の中、審査員、他の歌手達、厳しい常連のお客様等の前で一曲を歌うことができるのだ。

私の場合は銀巴里のオーデションの合格が巴里祭より少し早かった。
今は亡き銀巴里の作本社長がシャンソンには向かないと思われていた私の高く細い声を拾い上げてくださったからだった。幸いな事に、最初のオーデションで合格できたから今もこうして歌っていられるが、私の性格ではますます自信をなくし、そこから先シャンソン歌手の道を進めはしなかったと思う。作本社長はそんな私の性格も全部見抜いて救い上げ、様々な風から私を守ってくださった
人生の恩人だった。

短いほんの4年間で銀巴里は閉店となってしまったのだが、今振り返っても人生の転換期。様々なことが忘れられない思い出として強く残っている。信頼していた人の裏切りや人の汚らしさも味わったりもしたが、確かに輝いていた時期もこの頃。そして、作本社長と奥様との思い出は、私にとっても母にとっても幸せな一つの時代の象徴だ。少しずつ折に触れ書いていきたいと思っている。

・・・そうそう、社長は釣りが好きだとおっしゃっていた。
行動派で車もかなりのスピードで走らせていた。キレのいい運転でイメージと違っていたので驚いたものだった。クルーザーももっていらしていつも奥様と二人身軽に出かけていらしたようだ。
船酔いの酷い私には知る術のない釣りの楽しさを何度か語ってくださった。
丁寧な優しさの溢れる話の中に、くどうべんさんと古賀勉さんと釣り船の船長さんの話がよく出てきていた。東北訛りの強いベンさんとの会話には古賀さんの通訳がないと、何年話していてもチンプンカンプンだと言って楽しそうに笑っていらした。なんで古賀さんだけが、べんさんの話がわかるんだろう?天才的に頭の良い作本社長の永遠のナゾだったようだ。
いつだったか、ベンさんの出演日に古賀さんの経営する赤坂のシャンソニエ「ブン」に伺った事があったのだが、べんさんは「ブン」で歌いながら飲みながらの状態になっていて、「古賀ちゃんがいてくれないと俺の話をわかってくれる人がいないんだよ」と男泣きとも言えない、男ベソをかいていた。
もう少しで泣き出しそうなべんさんのベソ。
私達はココで笑っていいのか本当に困ってしまったことをよく覚えている。古賀さんがべんさんの肩を抱いてあげていた。古賀夫人でもある芳賀さんの微笑みはマリアさまみたいだった。
そんなべんさんももう居ない。べんさんの訳詩で「さくらんぼの実る頃」を歌っているけど、さくらんぼの実る頃、鶯が楽しそうに野に歌うよ。って季節的におかしいんじゃないかって言う人もいるけど、
でもやっぱり、みんなはこの詞が好きなんだな.
 
話は戻るが、作本社長はきのこ博士としての別の顔をもってらした。こちらも日本中に名を馳せるほどの大家だったそうだが、アマチュア精神を貫いた為かシャンソン界にはあまり知られていないようだ。新種発見の数が何種類なっていたのか忘れてしまったけれど凄い頭脳と探究心の持ち主。
ド級のマニアックな人物だったのだ。
私もカビの研究に明け暮れた実績があるのを評価してくださったのか?毒きのこ図鑑を何度かみせていただいた(^^ゞ ことがあった。
きのこワールドは常人が入ってゆけないブッとんだ世界のようだ。
椎茸・シメジから松茸や(+α そういえば松茸いっぱいの山を知っているとか言ってらしたのを今思い出した)(松茸よりおいしいきのこもあるんだって・・・)猿の腰掛け・毒きのこ・笑いダケ・マジックマッシュの類の幻覚作用のあるものまで、色も形も成分違うその数はまだ謎らしい(・・?  

それから・・・ 取材をかねて出掛けた作本社長の郷里の北海道で奥様と『川の字』になって眠った(眠ろうとした)ことがある。緊張してあまり眠れなかったのだ・・・後にも先にも『川の字』初体験だった私は、今こうして書いていてもなんとなくドキドキしてくる。兄弟のいない私は、○○○以外で他人と一緒に寝たのは就学旅行と海の家くらいのものだったから・・・

その後も お二人の人柄の偲ばれる別荘へお邪魔させていただいたり、母の身体を気遣ってくださいなからのお食事、いつも、人に対する心くばりとはこういうことなんだ・・・驚きと感心と感謝の連続だった。父を小学生の時に癌で亡くした為か尊敬する人物に対して言葉の足りなくなってしまう私の心がどの程度お伝えできていたのか、今となっては確かめる術も無くなってしまったが、私と母の中で作本社長と奥様への御恩はこれからも決して薄れることはない。
# by mariko-sugita | 2005-09-01 09:43 | chanson